村山伝兵衛

蝦夷の場所請負人の末裔による、読書、経済思想史、グライダー、哲学、自然、グライダー、蚊、日常のことなどについて

観天望気

グライダー・パイロットとして一応「一人前」と言われるために必要な資格は、「自家用操縦士・滑空機上級」という国土交通省航空局の免許を取ることだ。
この資格を取るためには自動車の免許と同様に、学科と実地の試験がある。学科試験の課目は、工学、航法、気象、法規である。実地試験の目玉は、単独飛行と試験官同乗飛行を各1回行い、その中で指定された課目を行うことだ。しかし、飛行の前に、各種の口頭試問(オーラルテスト)がある。

「気象」の口頭試問のため、我々5人の受験生は、「気象通報を聞き、各自天気図を描くこと」を指示された。各自が自分の書いた天気図を持参して合宿所の食堂(=試験会場)に集合。それぞれが試験官の前で、自分の描いた天気図を元に「概況を述べ、天気予測を行い、飛行の可否について所見を述べる」こととなった。

ひととおり終わった後、試験官が受験生の顔を見ながら言った。

「一番"たいせつ"な気象情報の集め方は何ですかね?」

受験生は試験前に詰め込んだナケナシの知識から答を絞り出そうとした。
「METAR(メター:定時航空気象実況)です」
「TAF(タフ:飛行用飛行場予報)だと思います」
「気象通報(NHKラジオで放送)でしょうか」

試験官は再び受験生の顔を見渡してから言った。

「やはり、カンテンボーキじゃないですかね」

そして「観天望気」と黒板に書いた。

「外に出て、自分の目で空を観る。五感を働かせて、風や温度、空気の湿りぐあいを自分の肌で感じる。雲の流れや様子を観て、天気の移り変わりを自分で確かめる。それじゃないですか」

受験生一同「そんなコトは先輩から伝授された自家用試験"虎の巻"には書いてなかったぞ」と心の中で思いながらも、

「ハイっ!!」

とデカイ声で返事をした。

航空局の試験官の中には、パイロットの資格を持っていない人もいる。逆に、自衛隊や民間航空で相当な経験を積んだ方もいらっしゃる。今にして思えば、あの試験官は、プロペラ機あたりで相当の現場経験を積まれた方だったかも知れない。この後の実地試験では、残念ながら1名が「不合格」とされてしまった。

<ご参考>
http://www.ed.noda.tus.ac.jp/~koukuu/old_doc/

* 20年前の試験の話ですから、現在では様子も違っているかも知れません。
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慶應義塾出身海軍少尉 太田孝一のこと

太田冷三は、広島県佐伯郡宮内村の農家の三男として生まれる。1907年(明治40年)に18歳で渡米し、移民としてカルフォルニアで農業を営む。1918年には、日本から18歳の娘、節子を呼び妻とする。六男一女の子宝に恵まれるが、中でも1921年に生まれた長男の孝一は、小学校から高校まで首席で通した秀才だった。
1940年(昭和15年)、カルフォルニア大学1年生で19歳になった孝一は、日本へ留学する。翌41年春には、「外国人学生に最も開放的なことで定評のある慶応予科を受験」し、外国籍学生の18倍という難関に合格する。
「太田は終始、真面目に教室に出て克明にノートをとる模範生で通した。正確な日本語で授業のエッセンスを書きとれる二世など彼のほかには考えられず、その希少価値をわきまえた日本人学生の中には、好んで彼のノートを借りようとするものもいた」。当時、「日吉は森を切り開いた広々とした野原で、その中に点々と予科の校舎があった」という。太田孝一は、「その思索家ふうの風貌や世渡り下手の律儀さ」、そしてカントの『純粋理性批判』や『判断力批判』の英訳本をいつも持っていたことから、「カント」とあだ名される。
しかし、この年の12月に日米が開戦する。生まれながらに二重国籍だった孝一だが、日本人としての意識が強かったため、和辻哲郎の「禅」や鈴木大拙の仏教入門書などにも親しんでいたらしい。二世としての孝一は特高や憲兵からもマークされ、寄宿寮(登戸にある「みづほ学園」)も調べられた。しかし、「ある刑事は寮長に、太田は国粋主義者で、生はんかな日本人学生よりも立派だ」とまで言ったそうだ。彼自身、「大和魂というのは、死ぬことだ。日本のために死ねばよいのだ」とまで言っていた。
「開戦はやがて両親からの学資仕送りの道を断ち切った」。孝一は、ジャパン・タイムスの校正などのアルバイトをしたようだが、勉強を続けることは次第に難しくなってきた。1943年9月には、法文系大学高専生の徴兵猶予令の停止が発表される。孝一は、その直後の10月に「予科の課程を了え経済学部に進んだ。二世学生としてはきわめて高いマークの成績で進学したが、それを知らせるべき宛先[親元]はなかった」。

海軍は「一部の有能な二世を選抜し予備士官候補として召集する異例の措置」に踏み切った。そして、1943年12月に、孝一は大竹海兵団に入隊する。基礎教程の後、通信学校に進み術科教程に入る。44年12月には通信学校を卒業し、海軍少尉に任官する。太田少尉は、大和田通信隊のV班に配属される。V(ボイス)班は戦争末期に開発された特殊な班で、全員が二世だった。V班は「敵の艦船および航空機相互間の超短波無線電話を妨信(ジャミング)により妨害し、あるいは平文の偽信を送って混乱させること」と「平文で送られる緊急電話電信を傍受し、彼らの作戦意図、ことに作戦終結の時期を割り出すこと」が任務であった。つまり、通信ではあるが、「直接戦闘に参加する」という特色があった。

「第二艦隊伊藤司令長官は、敵機動部隊との決戦に備えて司令部通信班の人員倍増をはかり、太田少尉と同じ発令で、予備学生出身の少尉4名と予備生徒出身の少尉候補生2名が、ボイス班に配属された。全員が二世出身の成績優秀者である」。「太田たちが第二艦隊旗艦大和に乗組んでいたのは、わずか1ヵ月半の短期間で、最後の決戦用に徴発された、短命な特攻兵器のようなものであった」。

太田少尉の主たる「配置」は最下甲板にある第三通信室だった。ここから「最上甲板に開口した救出昇降口まで、くぐらなければならないハッチは全部で13箇所、このうち中甲板の20センチ・アーマーを抜けるところに装備された特型の肉厚ハッチは、上から2名、下から1名の協力がなければバネが起きない仕組みで、戦闘中にそれだけの作業を実施出来る余裕など全く考えられない」。このことを下士官から教えられた太田少尉は、「どこで御奉公して死ぬのも同じです」と古風な言い回しで答え、周囲のものを驚かせたという。

1945年4月6日、天一号作戦が発動し、戦艦大和を含む帝国海軍最後の艦隊出撃が決行される。
「伊藤司令長官が、無謀愚劣な特攻作戦の制約にもかかわらず、この戦闘で妨信偽信と情報聴取の両面から通信班を最大限に活用した実績は、専門家のあいだで評価されている」。米軍の公式記録にも「電波撹乱が頻発し、隊内電話による交信不能」と記述されている。

太田少尉の当直勤務中に、敵の「艦隊発見」の電信を傍受する。
翌7日も太田少尉の勤務中に戦闘が始まり、太田少尉が受信した敵情に関する情報は、伊藤長官にも適確に伝えられたという。
しかし、敵の第4波攻撃により、7日午後2時10分頃「最下部第三通信室被害、通信機使用不能」が報告される。「原因は魚雷命中の浸水による電源破壊」。太田少尉は、戦艦大和の沈没の十数分前に、配置のままで戦死したものと思われる。

24歳だった太田少尉の戦死から、今日は61年目の日。

彼を死なせた作戦を命じた海軍軍令部は、そのとき、彼の短い青春の思い出があったであろう慶應義塾の日吉校舎の地下にあった。太田孝一は、死の4年前には「校舎のうらの草むらに寝ころんでダベることを」「何よりも好んだ」真面目な学生でしかなかった。

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以上は、吉田満氏の『鎮魂戦艦大和(上)』(講談社文庫)の中の「祖国と敵国の間」の中に描かれた太田孝一の生涯を要約してみたものだ。「祖国と敵国」というほどの葛藤や問題は、省略せざるを得なかった。この物語には、米国に残った孝一の両親・兄弟を含んだ日系米国人の実話も描かれている。彼らの収容所での生活のことや、米軍の日系兵部隊のことなどは、是非、ご自身で読んでみていただきたい。
一例だけ挙げるならば、孝一の妹、鈴代は、米空軍に看護兵として入隊し、トップの成績で昇進し、日系女性としては初めて「中佐」にまでなった方だとのことだ。
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黄セキレイは「灰色」か?

鳥好きの外国人とお話する機会が今までにも何度かありましたが、そういうときに意外と困るのが、鳥の「英語名(=英名)」の問題。NHKラジオの英会話教室でも受験英語でも教えてくれません。

これには次の2通りの問題があります。
第一は、外国では普通(common)だけれど日本にはいない鳥の問題。
第二は、日本でみかける鳥の名前を英語で何と呼ぶかという問題。

第一の問題としては、ナイチンゲールなどがあります。和名では「サヨナキドリ」と言うそうですが、日本には生息していないので、ふつうの「野鳥図鑑」には載っていません。しかし、ユーラシア大陸では「ありふれた(common)」鳥のようで、歌にも歌われ、アンデルセンの童話にも出てきます。
「見たこと無い」とか「日本にはいない」というのは仕方ないとしても、次々と鳥の名前を挙げられて、「知らん」ばかりでは話にならないので、少しは事前勉強をすることになります。
このための教材には、さほど困りません。洋書屋に行って、「ヨーロッパの鳥」とか「北アメリカの鳥」といった本の手軽そうなやつを1冊買っておけば充分です。
英語をしゃべるのが苦手でも、手元に一冊の図鑑があれば、それなりのコミュニケーションが楽しめます

第二の問題は意外と厄介です。日本の野鳥図鑑に「英名」が載っていればよいのですが、大概は「学名(ラテン名)」しか載っていません。これには理由があって、英名というのはひとつとは限らず、地域(たとえばイギリスとアメリカ)や時代によって呼び名が違ったりするからです。
たとえば日本でも、『伊勢物語』などの古典の中で「都鳥」と呼ばれている鳥は、現在、我々が(和名)「ミヤコドリ」と呼んでいる鳥のことではなくて、「ユリカモメ」のことだという説もあったりします。

どれを選ぶかで迷うよりは、万国共通の学名だけ記しておいた方が無難ということでしょう。

英名の入った数少ないハンディな図鑑としては、日本鳥類保護連盟が出しているものがあって、これが重宝しました。描かれている鳥の絵は「野鳥の会」の「フィールドガイド」の方が好きなのですが、外国人と会うときには「保護連盟」のものを使います。

たとえば、鳥好きの外国人との世間話のひとつとして、「僕の家のまわりでは、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイなどが見られる」と言うために、この3種の名前を調べてみたりします。そうすると、意外な事に気づきます。

和名:英名(学名)
ハクセキレイ :White Wagtail(Motacilla alba)
セグロセキレイ:Japanese Wagtail(Motacilla grandis)
キセキレイ  :Gray Wagtail(Motacilla cinerea)

「Wag-tail」つまり「尾を振る」というのはセキレイの習性なので、ハクセキレイが「White Wagtail」というのは、分かりやすいです。
しかし、「セグロ(背黒)」が「ジャパニーズ」とは、これいかに?
と思って調べてみると、このセグロセキレイは、日本列島の外ではほとんど見られない鳥だということが分かります。そういうことを知ると、見慣れた鳥でありながら、なんだか急に愛着がわいてきます。家の近くの河畔でセグロセキレイを見るたびに「君は我が国に固有な鳥だったんだねぇ」などと感慨深く思ったりするわけです。

もう一つ疑問なのは、キセキレイ(黄鶺鴒)が「グレイ」と呼ばれること。
そう思って調べてみると、日本ではあまり見かけないのですが、「Yellow wagtail(Motacilla flava)」という別な種の鳥がいることが分かりました。こちらには、「ツメナガセキレイ(爪長鶺鴒)」という和名があります。ユーラシア大陸では珍しくない鳥のようです。

逆に「Yellow wagtail」と聞いて「キセキレイ」のことだと思っていると、「勘違い」ということになります。

「キセキレイ」と「ツメナガセキレイ」を比べると、「ツメナガ」の方が黄色の面積も広く、色も濃いようです。我がキセキレイが「Grey(灰色)」の名に甘んじるのも、やむを得ません。我が家の近くにいるキセキレイなど、その腹の黄色の鮮やかさは、なかなかなんですけれどね。英米人にとっては、その背中の「灰色」が特徴ということなのでしょう。

このほかにも、イギリスあたりでは「Pied Wagtail」(直訳すれば「マダラセキレイ」?)なんて呼び名もあるようです。英名の「異称」として、ハクセキレイを「(Japanese) Pied Wagtail」とか「Black-backed Wagtail」とか呼ぶこともあるようです。前者はともかく、後者については「それじゃセグロセキレイの立場がないじゃないか」と言いたくなります。
もっとも英国人からは、「そんな日本にしかいないような鳥のことなんか知らないよ」と言われるんでしょうが(笑)。

というわけで、鳥好きの外国人のお相手をするたびに、生活上は何の役にも立たない「雑学」が増えていくのです(笑)。

日英「黄色」騒動(笑)については、以下のサイトの絵が分かり易いかも知れません。
黄色:http://www.birdsofbritain.co.uk/bird-guide/yellow-wagtail.htm
灰色:http://www.birdsofbritain.co.uk/bird-guide/grey-wagtail.htm
まだら:http://www.birdsofbritain.co.uk/bird-guide/pied-wagtail.htm

<White Wagtail>
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Wagtail
<Grey Wagtail>
http://en.wikipedia.org/wiki/Grey_Wagtail
英語版ウィキペディアには「Japanese Wagtail」は載っていませんでした。
誰か英語で書いてあげてください(笑)。
http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Japanese_Wagtail&action=edit

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狩人の隠し味

とあるバ一のカウンターに座ったら、目の前に、
「Okhotnichya」
というウォッカのボトルがあった。
「オホーツク?」
と思ってボトルを見てみると、「メイド・イン・USSR」(笑)の年代モノ。

ストレ一トで一杯もらって呑んでみると、これがなかなか美殊しい。
コクがあって、スムース。
ウォッカはあまり呑む方ではないのだが、こいつはイイと思った。

マスターによれば、製造元はつぶれてしまったらしく、再入手は困難。
ボトルに残るだけで、お仕舞とのこと。

ラベルを見ると、「ハンターズ・ウォッカ」とも書かれている。
旧ソ連の極東シべリアで狩をしていた野郎どもの酒か?

.:*:'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆。'・.:*:・.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・

ネットで調べてみたら、以下のような解説があった。
「ハンター ウォッカの別名を持つ。狩人達が携えた革袋の中のウォッカに木ノ実などが混ざり合い、自然な芳香を放つようになったと伝えられる」
「狩人のかくし酒」
「アンゼリカ、クローブ、コーヒー、ジュニパー・ベリー、ジンジャー、スターアニス、ブラック&レッドペパー等のハーブで香りを付け、オレンジとレモンの皮で苦味と芳香を与えた後にポート・ワインを加えて香味を調整した、橙褐色の滋味豊かな酒」
「大自然に挑むハンター達が愛する野趣あふれるウォッカ」

家に一本置いておきたい酒だけれど、「入手困難」とのことで、極めて残念!!
http://home7.highway.ne.jp/rakkyo/spiris/vodka_russian.htm
http://www.ussrposters.com/vodka.html

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風の家(レラ・チセ)

日曜日の夕方、とある読書会の新年会で、東京・中野にある「レラ・チセ」というお店に行った。「レラ・チセ」とは、アイヌ語で「風の家」という意味で、このお店は都内で唯一のアイヌ料理のお店らしい。
アイヌ料理と聞いて、何か具体的なものを思い浮かべることの出来る人は、それほど多くはないだろう。まして、食べたことがある人は更に少ないだろう。「レラ・チセ」のことを「都内で唯一のアイヌ料理のお店」と書いたけれど、正直に言うと、ここ以外に(北海道であれ海外であれ)「アイヌ料理のお店」というものが存在するのかどうか、僕は知らない。僕が札幌に住んでいた頃(1970年代)でも、札幌の街中で「アイヌ料理」などという看板を見たことはない。
このレラ・チセには、2年ほど前にも来たことがあった。その素朴な味わいに、僕自身は充分に楽しめたが、皆の話を聞くと、必ずしも全ての人の「口に合った」というわけではなかったようだ。という訳で、店に向かう途上では少し不安があったものの、今回は皆が楽しめたようでよかった。

まず、お店の1階が、随分とお洒落になっていた。
呑み物では、「五穀焼酎」(これは別にアイヌ民族の飲み物というわけではない)と「カムイ(神)」という地ビールを呑んだ。いずれも良かった。

好評だったのは、「ハスカップ」のジュース。
ハスカップは、北海道の一部とシベリアにのみ自生すると言われる神秘の果実で、僕は大好きです。

ほか、食べてみたもの。

◇チェプ焼き(焼き鮭):美味しい。
◇鰊焼き:ニシン、きわめて好評。
◇ムニニイモ:説明によれば「凍らせて発酵したジャガイモを臼でついてすりつぶし、水で洗ってあくを抜いて乾燥させたものを水でこねて焼いたもの」とのこと。個人的には、けっこう好きです。クセになる味。おおむね好評。
◇ユク・ステーキ(鹿肉ステーキ):牛とも豚とも羊とも違う味(笑)。特にクセなどはなかった。

興味のある方は、是非一度、行ってみてください。

<アイヌ料理の店「レラ・チセ(RERA-CISE)」>
http://www2.odn.ne.jp/rera/
http://www.alfoo.org/diary3/rera/

<ハスカップ>
http://www.haskapp.co.jp/onlineshop/haskapp/haskappjewelry/
http://www.haskapp.co.jp/onlineshop/haskapp/
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